【日綿實業・ニチメン】ユニメン・ダイハツ・モータースのミゼット組み立て工場
日綿の自動車産業に対する商権の獲得は、関西に本拠をおくダイハツ工業(株)との提携から始まった。ダイハツ工業は、1957年、商用軽三輪車「ミゼット」を開発、ヒット商品となり、アジア向け輸出や、その後発売された軽四輪商用車「ハイゼット」の国内販売を引き受けることになった。
国内市場では、1961年、ダイハツ工業と折半出資して、北海道地区でハイゼットと小型四輪トラックを販売する代理店「株式会社ダイハツ日綿モータース」を札幌に設立した。
輸出市場では1962年、インドネシアのジャカルタで開催されたアジア・オリンピックの輸送手段として、同国政府にミゼット6,000台を一括納入して業界をあっといわせた。当時日本の自動車の輸出台数は総数で7、8万台にすぎず、ミゼットの大量輸出は、自動車輸出の歴史に残る画期的な出来事であった。この輸出は、部品を送り現地で組み立てるKD方式がとられたが、これはダイハツ工業のKD輸出の第一号でもあった。
さらにダイハツ工業とは1961年、パキスタンの首都カラチに現地資本との3社による合弁で、ミゼットのKD生産をする「ユニメン・ダイハツ・モータース社」を設立した。
国内市場では、1961年、ダイハツ工業と折半出資して、北海道地区でハイゼットと小型四輪トラックを販売する代理店「株式会社ダイハツ日綿モータース」を札幌に設立した。
輸出市場では1962年、インドネシアのジャカルタで開催されたアジア・オリンピックの輸送手段として、同国政府にミゼット6,000台を一括納入して業界をあっといわせた。当時日本の自動車の輸出台数は総数で7、8万台にすぎず、ミゼットの大量輸出は、自動車輸出の歴史に残る画期的な出来事であった。この輸出は、部品を送り現地で組み立てるKD方式がとられたが、これはダイハツ工業のKD輸出の第一号でもあった。
さらにダイハツ工業とは1961年、パキスタンの首都カラチに現地資本との3社による合弁で、ミゼットのKD生産をする「ユニメン・ダイハツ・モータース社」を設立した。