2026.10.23 UP
「極端に言うと、僕のインタビューすらも信じなくていい」
人の言葉を鵜呑みにせず、自分の目と耳で確かめ、自分で判断する。講談師・神田伯山さんはその姿勢を貫いてきました。
若き日に出会ったのは、衰退が危惧されていた講談の世界。その面白さに惚れ込み、周囲の反対を受けながらも講談師の道へ。何の実績もない頃から自分にはできると信じていました。
その自信は何に支えられていたのか。人気講談師となった今、何を思い、どこへ向かおうとしているのか。伯山さんの言葉からその生き方をたどります。
Text_Interview_ Kowloon Joe
Photograph_Kimi Takeuchi
Edit_Takahiro Kato
“ト書きの美しさ、日本語の美しさが、年々いいなと思えてきました。”
張扇(はりおうぎ)が釈台(しゃくだい)を打つ。パン、パンと乾いた音を挟み、講談の語りが畳みかけられていく。
二刀を構える剣豪・宮本武蔵、その前に立ちはだかるのは鎖鎌の使い手・山田真龍軒(やまだしんりゅうけん)。鎖が木剣に絡みつき、武蔵が宙を舞う――。
高座にあるのは小さな釈台と張扇だけ。講談師・神田伯山さんの言葉が、壮絶な戦いを目の前に浮かび上がらせます。満員の客席が息を呑んで聴き入っていました。
ここは東京・浅草演芸ホール。落語家を中心に十数組の演者が、15分ほどずつの持ち時間で入れ替わり高座に上がります。

浅草演芸ホールの入り口に掲げられた主な出演者の看板(左)、舞台裏で出番を待つ伯山さん(右)
この日、選んだ演目は『山田真龍軒』でした。同じ高座に上がる落語との違いを、伯山さんはこう話します。
「落語がセリフの芸だとすると、講談はト書き――それも、日本語の美しさを大事にした芸なんです」
古典の格調高い言葉を、一語一句、正確に読む。伯山さんは、その良さが年を重ねるほどにわかってきたといいます。

軽妙なマクラから講談へ、徐々に観客を引き込んでいく
ただ、古典の言葉をそのまま読むだけでは、今のお客さんには伝わらない。時には解説を加えながら、現代の観客に講談の面白さを届ける工夫を重ねています。その思いは、高座ごとの演目選びにも現れています。
「寄席の出番だと、ネタ(演目)はその日のお客さんの空気を見て、合いそうなものを選びます。寄席はその時々で、客層がガラッと変わりますので」
講談師には「前座」「二ツ目」「真打」という三つの階級があり、真打がその最上位にあたります。伯山さんが真打に昇進したのは2020年。
「ネタを事前に決めなくても高座に上がれるようになったのは、ここ数年のことですね。もっとも、十分に稽古と場数を重ねてきたからこそ、ぶっつけでできるわけで、おそらくそれが真打ということなんだと思います」
“講談が好きで夢中なことを、誰よりも自分がわかっていました。”
芸能とは縁のない家庭に育った伯山さんは、小学4年生の時、会社員だった父親を亡くします。
「そこで、少年時代が強制終了になったんです。多くの人が青年期に抱えるような悩みに、いち早くぶつかってしまったというか。そこからは、死について考えることが永遠の宿題になりました」
それは、自分自身の未来を考えることでもありました。自分は何をするべきか、何をして生きていけばいいのか。けれど答えは見つからず、時間だけが過ぎていきました。
転機は高校2年生の時。深夜ラジオで聴いた昭和の大名人・三遊亭圓生の落語に衝撃を受けます。落語に夢中になり、やがて立川談志さんの独演会に通うように。談志さんが紹介するものをたどるうちに、講談と出会います。
「陽の当たらないジャングルの奥地みたいな場所に、講談があったんです。のちに、それが宝の山だと気づくんですけど」
当時、講談師の数は東西あわせても数十人。観客もまばらで、業界内では自嘲気味に「絶滅危惧職」とも呼ばれるほどでした。
「ただでさえ少ないお客さんが、居眠りまでしている。それでも講談師たちは、この芸の凄さを信じている。世間が何と言おうと、俺たちは講談が好きなんだというのが伝わってきた。そのピュアさに惹かれたんです」

聴けば聴くほど、伯山さんは講談の面白さに引き込まれていきました。一方で、これほど魅力的な芸能が衰退していく現状に、次第に苛立ちを覚えるようになります。
もっと若くて、毒っ気があって、それでいて講談に異常なまでの愛情を持った人間が必要ではないか。
「……あ、俺しかいないじゃん、と思ったんです。よく考えれば、何の実績もないし、無鉄砲でしたけど」
講談師になりたいと打ち明けると、周囲のほとんどが反対しました。それでも決意は揺るぎません。
神保町の古書店や国会図書館に通い、昔の速記本を読み込む。高座にも足しげく通いました。そうして数年をかけて準備を重ね、24歳の時、師匠と見込んだ神田松鯉(しょうり)さんの門を叩きました。
同世代の誰にも負けないほど講談を掘ったという自負はある。これだけやって弟子に取ってもらえないのなら、向こうの見る目がない――。勝手な思い込みですが、当時はそこまで考えていたといいます。
ところが、松鯉さんが尋ねたのは思いがけないことでした。
「君は、講談が好きなのか?」
知識も技量も問われない。好きならば、これから一緒に頑張ればいい。思い描いていた入門の面接とは、まるで違いました。
「能力があるか、どれだけ物を知っているかなんて、全然関係なかったんです。受け入れたら、百パーセント受け入れる。こんなに懐の広い、美しい世界があるんだと思いました」
“自分だけは自分のことを認めてあげようと。それしか救いがなかったんです。”
入門後、伯山さんを待っていたのは4年半に及ぶ前座修業でした。
前座の仕事は高座に上がるだけではありません。着物を畳み、太鼓を叩き、先輩芸人たちに気を配る。ところが伯山さんはこうした仕事が苦手で、本人いわく「ダメ前座」でした。
「前座の評価は、雑務が9割で講談は1割。そこはどうにもならない。ただ、二ツ目になればこれが逆転し、講談で勝負できる。その時に備えることだけを考えていました」

前座時代の伯山さん
2年目、3年目になると、講談で客席を沸かせるようになります。しかし、前座としての評価は変わりません。伯山さんは楽屋仕事の合間を縫って、稽古を重ねました。
「稽古の量は、自分が一番わかっている。だから、自分だけは自分のことを認めてあげようと。前座の頃は、それしか救いがありませんでした」
伯山さんには、今も折に触れて思い出す、ある落語家の言葉があります。
「稽古を褒められたら、ああよかったと稽古しろ。うれしかったら稽古しろ。腹が立ったら稽古しろ。腹が減ったら稽古しろ。腹がふくれたら稽古しろ」
喜怒哀楽に心が揺さぶられた時こそ、稽古に向かう。つらいと嘆いていても何も変わらない。そうして稽古に明け暮れた日々を、伯山さんはこう振り返ります。
「美談じゃないんです。稽古している時間が、とても愛おしかった。新しいネタを覚えて、早くお客さんにかけたい。そもそも好きなことをやっているんですから」
“こういう場面を誰よりもくぐり抜けてきた、という自負はあります。”
2012年、伯山さんは二ツ目に昇進します。思い描いていたとおり評価は逆転し、講談で勝負する日々が始まりました。
講談をもっと多くの人に知ってほしい。その思いは、講談師を志した頃から変わりません。ラジオで自分の番組を持つようになったときも、講談を知らない人たちにどう興味を持ってもらうかを考えました。
「講談の話から離れ、まずは“僕という人間”を面白がってもらう。この人、面白いな。講談師なんだ。じゃあ聴いてみようか、と。いきなり講談の説明をするより、その順番が大事だったんです」

30分の番組だが、収録には毎回2時間以上かけるというTBSラジオ「問わず語りの神田伯山」の収録現場
テレビで講談を披露する際には、また違った難しさもありました。
2018年、第一線で活躍する芸人たちが集まる人気テレビ番組に出演したときのこと。客席には20代の若者たちが並び、与えられた時間はわずか7分。演目は、冒頭の浅草演芸ホールでも披露した『山田真龍軒』でした。
「師匠をはじめ、僕より講談がうまい人間は大勢います。でも、メディアに出る機会は、僕が多い。つまり、もし僕がゴールデンタイムの番組で失敗したら、講談という芸能そのものがつまらないと思われてしまう。それが恐ろしかった」
その重圧を一人で背負い、最後まで読み切りました。
「こういう場面を誰よりもくぐり抜けてきた、という自負はあります。意外と誰も評価してくれないので、自分で言ってしまいますけど(笑)」
そして2020年2月11日、東京・新宿末廣亭。真打昇進とともに、それまでの「松之丞」から、講談界の大名跡「神田伯山」を六代目として襲名。その披露興行が初日を迎えました。
開演は午後5時。前夜から並ぶ人まで現れ、当日の朝には約200人の行列ができました。講談師の真打昇進披露興行としては、異例の盛況ぶりです。
この披露興行の舞台裏は、自身のYouTubeチャンネルで連日公開され、講談や寄席の存在を広く世間に知らしめました。

「松之丞改メ神田伯山真打昇進披露興行」の大初日となった新宿末廣亭では、寄席全体が大きな熱気に包まれた
(公式YouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」より)
かつて客席で、消えゆく芸に苛立っていた青年は、こうして講談界を代表する存在となりました。
“講談を通じて、死を克服できた気がするんです。”
「優しい師匠なんて、クソの役にも立たない」
弟子の育成について尋ねると、伯山さんはそう言い切ります。
「優しい師匠というのは、無責任なんですよ。言うべきことを言わず、背中で覚えろで済ませてしまう。厳しい師匠のほうが、案外、愛情を持っているんです」
現在、弟子は4人。一番弟子の梅之丞さん、二番弟子の青之丞さんは二ツ目になりました。その下に前座の若之丞さん、豊松さん。全員と交わしている約束があります。それは、毎月必ず新しい演目を一席覚えること。
「一席を一語一句覚えるのは、なかなか厳しい。でも覚えれば技術が身につくし、1年たった時点で、12席覚えたんだと思える。それが自分への信頼になるんです」
厳しい約束を課す一方で、指導は一律ではありません。自分の教え方に弟子を合わせるのではなく、弟子それぞれの性格や持ち味を考え、教える演目も変えています。
初めての女性の弟子となる豊松さんを迎えた際には、それまで手をつけてこなかった女性が中心となる演目を自ら覚えました。
「こんな機会がなければ、覚えなかったはずのネタです。でも自分の高座でかけてみたら、案外ウケるんです。なんだ、俺にはこんな伸びしろがまだあったのかと」
渡しているつもりで、受け取っている。
そして、弟子たちの存在は、小学4年生で父親を亡くして以来、抱え続けてきた「永遠の宿題」にも一つの答えを与えてくれました。

寄席での出番を前に身だしなみを確認する伯山さん
「もし僕がいなくなっても、弟子たちが芸を受け継いでくれる。弟子がまた弟子を取れば、その先にもつながっていく。講談を通じて、死を克服できた気がするんです。とても幸せです」
弟子が一人増えるたびに、師匠である伯山さん自身も変わっていきます。
「次から次へと、いろんな人生をぶつけられる。こっちも変わらざるを得ないんです。それが面白いですね」

神田伯山
講談師
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