HomeSpecial伝わらないなら、伝わるまで考え抜く。 書家・紫舟の創造の原点

Vol.05

向 / むきあう

2026.07.29 UP

伝わらないなら、伝わるまで考え抜く。
書家・紫舟の創造の原点

article_57_img01.webp自分に何ができるのか。どう表現すれば理解されるのか。
書家の紫舟さんは人生で2度、大きな壁にぶつかります。乗り越えるために必要だったのは、徹底的に自身の心の奥を見つめること、そして考え抜くことでした。

進路が見通せず、いくら考えても答えが出なかった時。
世界の舞台で、書が芸術として届かない現実に直面した時。

己の現在地を知り、他者を理解しようとする姿勢が道を拓きます。

Text_Interview_Kazuhiro Hojo
Photograph_Kimi Takeuchi
Edit_Takahiro Kato

ちょうど100日目の出来事

“奥底に隠れていたものが見えた。”

「音を立てて崩れていったんです。ちょうど100日目でした」

“内観”という言葉を聞いたことがあるでしょうか。自分の心の内側や意識の状態を、できるだけ客観的に見つめることです。

本当は何をしたいのかわからないままアパレルメーカーに勤めていた紫舟さんは、本を読んでも人に会っても、答えを見つけることができませんでした。そんな時、かつて習っていた合気道の先生の言葉を思い出します。

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「自分の内側を見つめなさい」

会社を3年目で辞め、自分と向き合う日々が始まりました。

「わたしは何が好き?」「何をしていると幸せ?」

毎日、自分に問い続けましたが答えは出ません。1週間なのか、1カ月なのか、それとももっと先なのか――。終わりはまったく見えませんでした。

そして100日目。突然、変化が現れます。

「本当は要らないのに背負い過ぎていたものが、剝がれ落ちていくのを実感しました。そう気づいたあとに、見えたんです」

不要なものが次々と消え、最後に残ったのは「私は書家になる」という言葉だけでした。

習い事を超えて、生活の一部に

“自信の土台だから、やめなかった。”

日本舞踊、ピアノ、バイオリン――。幼い頃からさまざまな習い事に親しんだ紫舟さんが、書道を始めたのは6歳の時でした。先生の指導は厳しく、教え子たちは全国大会で上位に入賞することも珍しくありませんでした。

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アトリエに並ぶ紫舟さんの愛用品

「自分には書道の才能がない、と感じていました」

そう話す一方で、小学生のうちに8段を取得するまでになります。

「先生の指導のおかげです。ただ、子ども心に、書道は自分が自信を持つための土台になるような気はしていました」

他の習い事とは違い、書道だけは長く続けることができました。そのことをこう表現します。

「“続けたい”という気持ちではなく、“やめるのは違う”と感じていました」

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作品の制作に没頭する紫舟さん

好きで夢中だったからでも、才能を信じていたからでもありません。それでも、書道だけは手放しませんでした。

「なにしろ6歳からずっと向き合っていますから、書道が生活そのものになっていたことも大きいと思います。“やめる”という選択肢はありませんでした」

「書の彫刻」を生んだイタリアでの挫折

“この拍手は違う。”

書道で生きていく覚悟を決めた紫舟さんは、世界最大級の現代美術展「ヴェネツィア・ビエンナーレ」関連企画展に審査員選抜で参加します。展示とパフォーマンスは高く評価されました。しかし、紫舟さん自身の感じ方はまったく違うものでした。

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ヴェネツィアでパフォーマンスを披露する紫舟さん

「拍手を浴びながら、“伝わらなかった”という違和感が募るばかりでした」

その拍手は、西洋にはない“珍しい”文字文化への賞賛だと受け止めました。音楽や映画のように、芸術として国境を超えることを目指していた紫舟さんにとって、それは書を世界に届けるために乗り越えるべき、大きな“壁”でした。

もう一度力を蓄え、海外に発信し直そう。そう決めた紫舟さんは、日本で何ができるのかを考えるなかで、文字そのものの歴史に目を向けます。

日本独自のひらがなが生まれたのは平安時代ですが、その起源をたどると、紀元前1300年ごろに中国で生まれた「甲骨文字」に行き着きます。紙がなかった当時、亀の甲羅や牛の肩甲骨に刃物で刻まれた文字は、それ自体が立体彫刻のような存在でした。

西洋美術では色を塗り重ねながら作品を仕上げる表現が一般的です。一方、書は一瞬の筆運びが表現を左右します。平面の作品だけでは、その筆の運びや強弱、一瞬で書き上げる緊張感といった書の本質は伝わりにくい。それなら文字を立体として表現できないか――。

「一筆で書く時間の流れを可視化する方法、といえばいいでしょうか」

“これが日本文化だ”と押し出すのではなく、西洋文化や美術への理解を深めたうえで、作品をどう届けるか、どうすれば理解されるかを考え抜きます。

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紫舟さんが作り上げた表現「書の彫刻」の作品。金属を幾重にも重ねて立体を表現している

そうしてたどり着いたのが、「書の彫刻」という新たな表現でした。その作品はパリのルーヴル美術館地下会場で行われたフランス国民協会展で最高位の金賞を受賞します。

「かつて葛飾北斎は立体を平面にしたが、紫舟は平面を立体にした」と評されたのは、ヴェネツィアで感じた違和感から9年後のことでした。

自分の現在地を知り、違和感と向き合う

“将来どうしたいかなんて、わからなくていい。”

ヴェネツィアでの違和感が新たな表現を生み出したように、紫舟さんの人生もまた、“何かが違う”という感覚と向き合うことで大きく動いていきました。

「アパレルメーカーで働いていた頃も、仕事は楽しかったのですが、いつも心の隅で“何かが違う”という感覚を抱いていました」

向かうべき道が見えなくても、違和感は確かにある。紫舟さんはその違和感から目を背けず、自分と向き合い続けました。

「まずは、自分が今どこにいるか、現在地を知ることが大切だと思います」

現在地を知ることは、自分の弱さや苦手なことと向き合うことでもあります。決して楽な作業ではありません。それでも、自分のことだからこそ、答えは自分の内側にあると紫舟さんは言います。

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紫舟さんが書いた「山是山」。山はただ山で、水でも風でも谷でもない。誰かと比較することなく、自分ではない何ものかになろうとせず、あるがままに自分の道を見つけられるように――との思いが込められている

「ご飯を食べるのも忘れて熱中してしまうことや、何度『やめろ』と言われても続けてしまうこと。そういうものがヒントになります」

まずは自分の内側に耳を傾け、自分が今どこに立っているのかを知ること。現在地がわかれば、進むべき方向も少しずつ見えてきます。

「私も最初は、自分には何もないと思っていました。でも、私にもあるはずだと信じて探し続けました。私にもあったのだから、きっと誰にでもあると思うんです」

未来の記憶を創る

“過去ではなく、新しい記憶を投影する。”

自分の現在地を知ることが大切だと語る紫舟さんは、人が未来へ踏み出す時の“心の動き”にも独自の考えを持っています。

「99%の何もない日常や楽しかったことよりも、たった1%の辛かったことを強く記憶してしまうことが人にはあります。これは記憶の比率が正しいとは言えません」

新しいことに挑戦しようとする時、過去の失敗や苦しかった記憶が頭をよぎり、“また失敗するのではないか”と思ってしまうことがあります。まだ訪れていない未来を、過去の記憶で見てしまうような状態です。

だからこそ紫舟さんは、“未来の記憶を創る”という考え方を大切にしています。

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「変えられない過去の挫折や失敗にとらわれすぎると、将来が不安になります。望む未来を鮮明に思い描き、それが叶った姿を未来の記憶にすることで、人は将来に希望を持てるようになります。過去の挫折は願いを叶えるためのプロセスだったと、意味を変容させることができるのです」

私たちにとって“記憶”とは、過去の出来事を蓄積したものです。一方で紫舟さんの言う“記憶を創る”とは、未来の自分を具体的に思い描き、それをあたかも記憶のように心に刻むことです。

過去の記憶に縛られるのではなく、自分が望む未来を描き、その姿を心に刻む。紫舟さんは、その積み重ねが未来を変えていくと考えています。

100日間、自分の内側と向き合い続けたことも、ヴェネツィアで感じた違和感を考え続けたことも、その根底には、まだ見えていない未来を信じる姿勢がありました。

答えは自分の中にある――。紫舟さんの歩みは、自分を信じて考え抜くことの意味を教えてくれます。

PROFILE

(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)

紫舟

紫舟

書家・芸術家

6歳から書を始め、奈良・京都で研鑽を積む。伝統的手法にとどまらず、書を現代アートとして表現する独自の創作活動を展開。NHK大河ドラマ『龍馬伝』や『美の壺』の題字をはじめ、国内外で数多くの作品を手がける。ルーヴル美術館地下会場で開催されたフランス国民美術協会展では、日本人として初めて書画と彫刻の両部門で最高位の金賞を受賞。現在は書家・芸術家として活動するほか、大阪芸術大学教授も務める。近年は、病院の処方箋にアートが書かれる日を迎えるため、想像力で人を治す未来の病院プロジェクトにも力を注いでいる。

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