HomeArticle「職業はドイツ人」 マライ・メントラインが自分を定義しない理由

2026.05.29 UP

「職業はドイツ人」
マライ・メントラインが自分を定義しない理由

article_54_img01.webpドイツ語翻訳者やテレビのコメンテーター、エッセイストとして活躍するマライ・メントラインさんは、自身の肩書きについて聞かれると、「職業はドイツ人」と答えます。
「『職業はドイツ人』ってどういうこと?と思いますよね」と笑うマライさんですが、その名乗りには“あえて自分を定義しない”というスタンスがにじんでいます。

マライさんの生き方を通して、キャリア形成の手がかりを探ります。

Text_Interview_Akio Fujiwara
Photograph_Takenori Misawa
Edit_Keigo Kawasaki

本番5日前の大抜擢

“興味があるなら、やらない理由のほうが難しい。”

2021年7月23日午後8時。「東京オリンピック」の開会式が始まった時、マライさんは会場となった国立競技場の放送席でマイクと向かい合っていました。ドイツ公共放送の解説者として、ドイツの視聴者に開会式の模様を伝えるためでした。

「今、各国の選手がスタジアム入りをしていますが、お気づきでしょうか?アルファベット順ではありません。日本語の“五十音順”で入ってきます。そのため、“D”で始まるはずのドイツ団が、“S”や“T”の後に登場します」

生中継を見る数百万人の視聴者に向け、マライさんは文化的な背景を補足しながら解説していきます。

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東京オリンピックの放送席で解説に臨む

開会式の解説者には、開催国に造詣の深い有識者が選ばれるのが通例です。式典の台本は事前に配られているものの、実況アナウンサーとのやりとりは全て生放送。どんな質問にも対応できるアドリブ力と土台となる知見が必要になります。

「本来であれば、日本研究者などの専門家やテレビ局のアジア担当特派員が選ばれるはずでした。しかし、コロナ禍の影響で調整がつかず、ドイツ公共放送の日本駐在プロデューサーだった私が解説者を務めることになったんです。決まったのは、開会式の5日前でした」

マライさんは「日本の楽しくて不思議なところを伝えたいという気持ちで臨んだ」と振り返ります。

「私でいいのかなとは思いました。でも、日本に恩返しできたような気がして、うれしかったですね」

10代での留学以来、日本とドイツをつないできたマライさんにとって、この仕事はキャリアの大きな節目となりました。

旅する子供、異文化への憧れ

“いわゆる「不思議ちゃん」ではないが、
遊びや趣味でも周囲と合わず、浮いたところがあった。”

マライさんは1983年、ドイツ北部のキールで生まれました。
父は大学教授で母は中学校の先生、2歳上の姉との4人家族でした。夏休みにはキャンピングカーで、ヨーロッパ各地を巡るのが一家の恒例行事だったといいます。

「イギリスやフランス、イタリアのキャンプ場にも行きました。そこではいろんな国の子どもたちがいて、言葉は分からないものの楽しく遊んでいました。そのうちに、みんな家に帰ったらどんな暮らしをしているのかなと気になって。いろんな国の家の間取り図を、想像しながら書くのが好きだったことを覚えています」

幼少期に芽生えた異郷への興味。その中でも日本は特別な存在でした。

「世界の暮らしぶりを描いた本の中に、布団を並べて川の字で寝る日本の絵が載っていました。ドイツではみなベッドで寝ますが、友達とのお泊まり会ではマットを床に敷いて並んで寝たりします。その特別な時間を、日本の子は普段からやっているんだ、いいなあ、と思ったのがきっかけです」

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加えて、民族博物館で見た“漢字”にも心を奪われました。

「アルファベットとは異なり、一つのシンボルに一つの概念と世界が含まれていることに美しさを感じました。特に象形文字は面白くて、漢字の“羊”や“木”の成り立ちを書いて遊んだりしていました」

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幼少期のマライさん(左)と象形文字の書き取り遊び(右)

気になったことは、突き詰めずにはいられない――。そんな子どもでした。

16歳での姫路留学

“体験して初めて、自分の感覚が更新される。”

初めての来日は16歳の時です。兵庫県姫路市でホームステイをしながら、市内の県立高校に通いました。

当時の日本語力は「私はリンゴを買います」レベルだったといいます。

「聞き取れた単語をつなぎあわせて、おぼろげに理解する。そこから正しく話そうと頭の中で整理していると、会話はもう次に移っていてタイミングを逃してしまう。最初は全然しゃべることができませんでした」

そんなマライさんを変えたきっかけは、正確さへのこだわりを手放したことでした。

「今から思えば、間違いたくない、正確に話したいという執着が、語学の上達を邪魔していたように思います。間違えてもいいから積極的にしゃべろうと思ってからは、頭のスイッチが切り替わりました」

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留学中、蚊取り線香のかやり豚や鯉のぼりなど、日本の日常文化を象徴するものをたくさんプレゼントされた(当時16歳)

言葉も文化も異なる、“当たり前”が通じない世界に身を置いた経験は、大きな財産になったと言います。

「日本で過ごすうちに“なんとかなる”という感覚を覚えたんです。言葉が通じなくても、一緒に食べたり笑ったりして、ジェスチャーで伝えれば、意外と生活できるんだって」

こうして約10ヶ月間の留学を終えて帰国後、ドイツのボン大学で日本地域研究を専攻します。そして2004年、大学在学中に再び日本へ留学。当時は日本研究者になることを目指していました。

「職業はドイツ人」の誕生

“失敗したら、次どうするかを考えればいいだけ。
「来た球を打つ」くらいがちょうどいい。”

ただ、研究者になる夢はかないませんでした。博士課程に進む段階で指導教授とうまく折り合えず、大学院に残って研究を続けることができなかったからです。

2008年。博士課程に進むことをあきらめたマライさんは、25歳で再び日本の地を踏みました。

「ドイツで仕事を探す選択肢もありましたが、留学時代に出会った日本人の男性と結婚することにしたんです。いずれ結婚するつもりだったし、一緒に住むなら日本がいいと思っていました。うまくいかない環境をなんとかしたい思いもあって、じゃあ今、日本に住もうと。将来プランも仕事もない。ただ、“なんとかなる”と思って飛び込みました」

“なんとかなる精神”はすぐに実りました。その年の12月、NHKのドイツ語講座の出演者に選ばれたのです。当たって砕けろの気持ちで受けたオーディションで、日本の若者文化について聞かれた際の受け答えが審査員の大爆笑をさらいます。

「日本の若者文化の、駄目だと思うところを話したあと、でもこんな良いところもあるなと自分に反論し、またそれに反論して……という風に、一人で自分と議論するようにしゃべり続けてしまったんです。それがおもしろかったみたいで、みんな大笑いしていました」

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2018年8月、お試しで出演したテレビ番組。その後レギュラー出演が決まる

番組出演をきっかけに、「日本語がうまいドイツ人がいる」という評判が立ち、翻訳や通訳の仕事が舞い込むようになりました。

「仕事が増えたこともあって、名刺を作ることにしました。肩書きは『通訳・翻訳』として、裏面に似顔絵を書いて『ドイツのことならお任せください!』と吹き出しを添えたんです」

その名刺がまた、新たな仕事を呼び込みます。

「ドイツから来日した子どもたちをアテンドしながら、日本文化体験を通訳する仕事があるんだけど、お願いできる?」
「声優にドイツ語の発音指導をしてほしい」
「ドイツでの展示会で日本製品のプレゼンターを務めてくれないか」

あるとき、マライさんは夫に「名刺には『通訳・翻訳』と書いているけど、それではカバーできない仕事が増えてきてるんだよね」と相談したといいます。

夫はこう答えました。

「じゃあ、『職業はドイツ人』でいいんじゃない」

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マライさんの名刺

あえて自分を定義しないという強み

“曖昧さは、不自由さじゃなくて余白なんだと思う。”

軽い気持ちで名刺に記載した「職業はドイツ人」という肩書きですが、そこにはマライさんの“スタンス”がにじみでいるように思われます。

インタビューでそのことを問うと、マライさんはうなずきました。

「肩書きとしては曖昧ですよね。専門性をアピールするのも一つの正解かもしれない。でも私はあえてそうせず、入口を広くしています。自分をあえて定義しない、とも言えるかもしれません」

マライさんの曖昧さは、結果としてキャリアの幅を広げることにつながりました。「通訳・翻訳」という肩書きを名乗り続けていたら、オリンピックの解説者という大役には縁がなかったかもしれません。

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マライさんはこうも言います。

「今は『正解っぽい』ものを求める風潮が強いように思います。でも、鵜吞みにしすぎないほうがいい。参考にするのはいいけれど、自分が本当に感じていることがわからなくなってしまうから。正解なんて、人それぞれでいいと思うんです」

では、そうした“自分の感覚”はどうすれば育てられるのでしょうか。

「いつもと違う環境に行ってみるのがいいと思います。国内でもいいから、自分が生まれ育っていないエリアに行くと、当たり前だと思っていたものが、意外と当たり前じゃなかったりする。ずっと同じ感覚の中にいるのではなく、いろいろ感じて、自分の頭で考えるチャンスをつくるのがおすすめです」

そんなマライさんに、この春、新たな変化が訪れました。「母」という肩書きが加わったのです。第1子の子育てには苦労が多いものの、日々、新たな発見があると言います。

「私が16歳の時に経験したように、『なんとかなる』ものです。だから、失敗を恐れないで新しいことに飛び込んでほしいですね」

それが、マライさんからのエールです。

PROFILE

(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)

マライ・メントライン

「職業はドイツ人」

1983年、ドイツ最北の町キール生まれの翻訳、通訳者、エッセイスト。2度の日本留学を経て、2008年より東京在住。ドイツ放送局のプロデューサーの傍ら、テレビのコメンテーターやウェブでの発信で活躍。単著に『ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです』『日本語再定義』、共著に『ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」』などがある。

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