2026.04.24 UP
時に、人の一生を決定づけるのは、考え抜いた末の選択ではなく、心を揺さぶられる瞬間なのかもしれません。イタリアで活躍するオペラ指揮者の吉田裕史さんは、17歳でそんな“衝撃の一瞬”に出会いました。吉田さんの音楽家への道のりをたどりながら、人生を展開させるヒントを探ります。
Text_Interview_Akio Fujiwara
Photograph_Emi Naito
Edit_Keigo Kawasaki
“これがなかったら指揮者にはなってない。
だから偶然だと思う、人生って。”
1986年2月23日、千葉県立国府台高校の2年生だった吉田さんは、吹奏楽部の後輩に誘われ、東京・渋谷のNHKホールに足を運びました。「世界のオザワ」と呼ばれた指揮者、小澤征爾さん率いるボストン交響楽団の来日公演を見るためでした。
吉田さんがオーケストラの演奏を生で聴くのは、この日が初めてでした。当時は小澤さんのこともよく知らなかったと言います。
「指揮者で名前を知っていたのはカラヤンかバーンスタインぐらいでした。音楽とは特別な縁のない、“普通の家”で育ちましたから」

北海道常呂町(現・北見市)で生まれ、千葉県船橋市で育った吉田さんの父は研究職、母は専業主婦でした。音楽に興味を持ったのは幼いころ、母と通った教会だったと言います。賛美歌を歌ううちにピアノを教わり、小学校では器楽部でフルートを、中学・高校ではトランペットを吹くようになりました。それでも、音楽の道に進もうとは考えてもいませんでした。
そんな少年に天啓を与えたのが、小澤さん指揮のブラームス「交響曲第1番」です。
「演奏が進むにつれてワクワクして、身を乗り出すようにして聴いていました。第四楽章でテーマの旋律『ソドーシドラーソ』を聞いた瞬間、体に衝撃が走り、『一生をかけて、絶対に指揮者になろう!』と決めたんです」
終演と同時に、吉田さんは駆け出しました。サインを求める人の群れを尻目に、“立ち入り禁止”のロープをくぐり、小澤さんの楽屋を目指しました。
舞台裏に潜り込むと、指揮を終えたばかりの小澤さんが廊下の長椅子に腰掛けていました。
「素晴らしかったです。僕は指揮者になりたいです!」と思わず口にすると、小澤さんは吉田さんの目をじっとのぞき込みました。
「瞬きひとつせず30秒も。そして、『君、本気みたいだね』と。『日本ではあまり教えてないから、タングルウッド(ボストン近郊の町)に来るといいよ』と言ってくれたんです」
タングルウッドがどこなのかも知りませんでした。実際、その町に行くことはありませんでしたが、これが人生を決定づけた瞬間でした。

ボローニャ歌劇場で指揮する吉田さん(写真:本人提供)
“一般的に音楽は「聞こえる」ものだと思われているが、
舞台の上で指揮をしていると、音が「うねる」のが見える。”
吉田さんはその後、東京音楽大学で指揮を学び、25歳で海外へ渡りました。
「大学生のころ、日本と海外のオーケストラが演奏するマーラーの交響曲を、同時にビデオで再生して聴き比べました。何十回も繰り返し聴くうちに、わかったんです。
『日本にいたら本物のクラシック音楽は身につかない。メッキのままで終わってしまう』って」
世界最高の指揮者になろうと志した吉田さんでしたが、オーストリアのウィーン国立音楽大学のマスターコースで早々に挫折を味わいます。授業で指揮棒を振り始めた途端、教師に「Far East(極東)の島国からきた彼には、ウィーンの音楽が持つ様式感なんてわからないんだよ」と言われたのです。
「ショックで次の日、授業を休みました。ドナウ川のほとりで膝を抱え、様式感って何だろうと考えながら、悔し涙も出ました。でも、このまま日本に帰ったら、一生自分は負け犬だと思って、次の日には戻りました」

翌年には同じコースで優秀な成績を修めます。いったん帰国した後、国内のオペラ団体でアシスタント・コンダクターを務め、再び渡欧。スウェーデンを経て31歳でドイツに行きました。世界を代表するマエストロ、ダニエル・バレンボイムに師事しようと考えたのです。
ところが、アポイントもなくベルリン国立歌劇場を訪ねると、門番に「ドイツ語もできないのに、何をどうやって学ぶんだい」と笑われてしまいます。
「英語でどうにかなると思っていたんです。いまから思うと甘いですよ。日本ではよく欧米って言いますけど、欧州と米国は全然違う。英語だけでは欧州じゃ通用しないとわかって、必死にドイツ語の勉強をしました」
“日本人の自分がオペラをやるのは、日本に来た外国の人が「歌舞伎をやる」ことと同じ。
「できるわけないだろ」と言われた。”
吉田さんはドイツを拠点に各地のコンクールに挑み続けるなかで、イタリアのミラノで「独特の音」を耳にします。スカラ座でリッカルド・ムーティが指揮する「フィガロの結婚」を聴いたのです。
同じ曲をドイツで何度も聴いていましたが、音が明らかに違いました。
「オーケストラの音がまるでヴェールをかけたように柔らかく響いたかと思うと、一転して鋭い緊張がかぶさる。
音のうねりが目に見えるようで、リズムは歯切れが良く躍動する。ピットのオーケストラも舞台上の歌手も、エリアを母国語として共有しているからこそ、つむぎだすドラマが一体となって響いていた。
言葉と音楽が有機的に結びつくのを耳にして、イタリア語のオペラを学びたいと心底思ったんです」
そして34歳になる2002年、なんの後ろ盾もないままローマに移り住みます。

「ローマでも、いきなり歌劇場を訪ねました。『この歌劇場でスタージュ(研修)したい』と言うと、『お前、日本人か?』と目の色が変わって。あとで聞いたら、応対してくれた彼は日本が大好きだったようです。『じゃあソヴリンテンデンテ(総監督)に話してやる』とつないでくれました」
そして、イタリアオペラ界の象徴と呼ばれる総監督、エルナーニ氏に会うことができたのですが、なぜか一目で気に入られます。
その後5年にわたり各地で実績を積み、ついに2007年、演奏と舞台を統括するマエストロ(イタリアにおけるオペラ指揮者の称号)に抜擢され、ローマのカラカラ野外劇場で開かれた音楽祭でデビューを果たしました。
のちに、吉田さんはエルナーニ総監督に「無名で若輩者、しかもオペラ文化圏外の自分になぜ目をかけてくれたのか?」と聞いたところ、総監督は即答したと言います。
「人間というのは目を見て10分話せば、どんな音楽をするのかが大体わかる。外れたことはほとんどないよ」
そして、こうつけ加えました。
「人類の遺産であるオペラを守るためには、文化圏外からも才能を抜擢する必要があるんだよ」
“音楽は国境を越えます。しかし音楽家の表現には、その人が育った文化や歴史、
そして揺るぎないアイデンティティが確かに息づいています。
(著書『魂の音楽よ、日本に届け』より)”
吉田さんは2010年夏のプッチーニ・フェスティバルでの指揮で高く評価されます。辛口批評家に「これほど素晴らしい『トゥーランドット』は聴いたことがない」と言わしめるほどの仕上がりでした。
「『トゥーランドット』は舞台が北京なので、アジアの音が多く入っています。オペラにはドラマがあり、その舞台である中国は彼らイタリア人より私の方が馴染んでいますから、演奏者も歌い手も必死に私から吸収しようとします。それが違いを生んだのだと思います」

ウクライナ国立オデーサ歌劇場にて(写真:本人提供)
以後、イタリア仕込みの日本人という持ち味を活かし、各地の歌劇場やオーケストラの音楽監督や首席客演指揮者を務め、イタリアやフランスをはじめとするヨーロッパ各地、ロシア、ウクライナ、エジプト、サウジアラビア、そしてブラジルなどのオーケストラを率いてきました。今では「マエストロ・デル・ソルレバンテ(日出ずる国のマエストロ)」と敬意を込めて呼ばれています。
「エルナーニ総監督には文化圏外の才能と言われましたが、異端であること、越境者であることは、その人の強みにもなるんですよ」
“音楽は国境を越え、時を超え、人と人とを結び、命のただ中に光を灯す。
(著書『魂の音楽よ、日本に届け』より)”
小澤征爾さんの楽屋やドイツの歌劇場への押しかけ、イタリアへの移住。吉田さんの人生はいつも、“衝撃の一瞬”をきっかけとした“跳躍”によって展開してきました。その行動力はどこから来たのでしょうか。
そんな問いに対して、吉田さんは少し考え、こう答えてくれました。
「親の教えかもしれません。物心ついた時から、『人に迷惑さえかけなければ、好きに生きていい。人と違っていい。人に合わせるのではなく、自分を磨きなさい』と繰り返し言われてきましたから。
あとは“本物になってみせる”という、情熱だったんだと思います」
“目は心の鏡”と言うように、熱意は瞳に宿ります。小澤征爾さんやイタリアの総監督は、吉田さんの目から本物になりたいという情熱を見抜き、チャンスを与えたのかもしれません。

吉田さんには今、3つの夢があります。
1つはイタリアオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座で指揮をすること。2つ目は100年後も世界中で愛され、上演され続けるような純国産オペラを世に送り出すこと。そして3つ目は、プッチーニの「蝶々夫人」の舞台である長崎をオペラの聖地にすることです。「蝶々夫人」は世界中の歌劇場のレパートリーに欠かせない、オペラの金字塔です。
「グラバー邸のある丘から、長崎湾を見ながら歌うんです。世界中のオペラファンが、一生に一度は行ってみたいと思う“聖地”になるはずです」
そう語るその目には、確かな熱が宿っていました。
吉田さんの跳躍は、これからも続きます。
(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)

吉田裕史(よしだ ひろふみ)
指揮者
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